fumimaro40’s diary

fumimaroはふつうの事務員。感じたままを。

病院にて思う

世のママ達は忙しいのであろう。ここのところ耳鼻科通いをしているのだが、ちびっ子を連れてきているのは、ママよりパパの方が多い日もある。そのパパ達はもちろん若く、けっこうイケメンなのである。ママに言われて仕方なくではなく、自ら進んで来ているようだ。子供が泣き叫べば、あの手この手でなだめ、鼻を垂らせばチーン。微笑ましいし、ちびっ子もパパもかわいいのである。

病院はコミュニケーションの場であると思う。人と話すのが苦手でも、医者に痛いところを伝えなければならないし、人混みが嫌いでも、待合室の子供からお年寄りまでの見知らぬ人に、囲まれなければならない。

しかしそこは、慣れると意外にも居心地の良い場所であると気がつく。目的が一緒だから。何かしら具合が悪く、良くなりたいという気持ちを誰しもが持って、そこにいるのだから。とは言うものの、本来治したいところではない病気を貰いそうで怖い。なるべく行かない方が身体に良い事が分かる。

そう、病院ってとこは、慣れてはいけない場所なのだ。

ひどく病院が苦手な友人がいる。お見舞いに行っただけで具合が悪くなってしまうのだ。それにひきかえ私はいたって平気。

私は子供の頃、1ヶ月くらい入院したことがある。その後療養もしたので、幼稚園を3ヶ月程休んだ。入院生活は完全看護で、個室で親が泊まることも出来ない病院だったため、お医者様が特別に許してくれたことがある。

ペットの文鳥ピーちゃんを病室に置くことだ。生き物を病院内に入れることさえ禁止なのに、かなり大胆だ。曖昧な記憶の中で、淋しくて仕方なく泣いてばかり、というのは無かったのに。母親が帰る後ろ姿を毎回見送ったのは、淋しかったに違いないけど。

大人達の気遣いはありがたく、大好きなピーちゃんとの会話はとても楽しいものだった。カゴから出してお話ししていると、ピーちゃんも飽きてしまい、ドアの隙間から脱走する。動けない私は、ピーちゃんが逃げたと看護師さんを呼ぶ。1日に何回も呼び出しブザーを押す。仕事にならない看護師さんは、ついに私をナースセンターに連れて行く。本を読んだり、お絵描きしたり、1日の大半をそこで過ごした。そばに置いておけば彼女達も安心なのか、皆優しく時々声をかけてくれた。ただ、子供の目から見ても忙しく厳しい仕事なのは分かった。

大きくなったら何になりたいかという良くある問いに、看護師さんと答えることは無かった。

白衣の天使を先に知りたかったなぁ。