fumimaro40’s diary

fumimaroはふつうの事務員。感じたままを。

年老いた父

父が老人施設に入った。一口に老人施設と言っても、誰でも入居できるものと、条件が必要な所があり、そういったホームは数種類に及ぶ事を知った。

 

まずは、条件だ。歳を取り自ら動くのが大変になって、主治医の先生の勧めなんかあると、市の介護認定審査を受ける。

 

軽い順に、要支援1・要支援2・要介護1・要介護2・要介護3・要介護4・要介護5、という風に区別される。

大体要介護3と認定されるということは、杖をついたり、歩行器に頼ってもひとりでは歩けなく、車イスの生活が主な場合のようだ。この要介護3という認定が、施設を選ぶ基準のひとつになる。ひとつではあるが、最重要項目になってしまう。

 

どんなに気に入ったホームでも、入居条件に要介護3と書いてあれば、それより軽い認定の人は、入れないのである。逆に要介護3の認定を受けていれば、特養老人ホームという比較的料金の抑えられた施設に入ることが出来るのである。

 

父は、要介護1だ。杖を使って歩き、箸で上手に食事をする。介護福祉的には、見守りという区分らしい。

 

実は今の施設に入居してから、すこぶる健康になった。あちらこちら痛いと言いつつ、自宅で過ごしていた時より顔色もいいし、館内ではあるが、毎日歩いている様だ。食事や運動を管理されているからに違いない。

 

そもそもなぜ施設に入ったのか。

ここ3年、続けて熱中症にかかっていた。普段から水を飲まない。水分を摂るよう言うと、コーラやコーヒーを飲んでいるから大丈夫だと返してくる。そんなんだから、冬に脱水で倒れた。気を失い救急搬送された。肺炎も併発していたので、即入院である。

肺炎は治ったが、自力で歩くのが難しくなり、暫くリハビリが必要になった。

病気ではないので、病院にはいられない。

そこで、病院が経営している、老人保健施設に入ったのである。そこは要介護1からの入居条件があったが、上手い具合に父はクリアしていた。リハビリ室も充実していたようなので、父は嬉しそうだった。

リハビリを頑張って早く家に帰るんだ、と張り切っている父を前に、そうだねと笑ったが、頭の中では、もう家には戻れないかもしれないよと言っていた。

 

家にいた時は少しも歩こうとしないで、1日をベッドで過ごすことが多かった。食事も部屋に運んでいたので、そこはまるで病室。

元々病院好きで、若い頃から少し体調が優れないと直ぐにお医者様に診てもらっていた。薬も大好き。処方されたお薬はきちんと服用するし、市販のそれらも色々買って来る。

 

それは年齢が進むと益々酷くなった。膝が痛いと整形外科や整骨院に連れて行け、眼がおかしいと眼科へ連れて行け、喉がおかしいと内科へ連れて行け、歯が変だと歯医者へ連れて行け、と母を振り回す。

 

まだ何とか車を運転する母は、自分の時間を削り、できるだけ連れ合いの助けとなるよう頑張っていた。父が痴呆と診断されてからも、一生懸命面倒をみていた。

疲労とストレスで、痩せてしまった母姿を見て、申し訳ない思いでいっぱいだったが、日中は仕事がある事を言い訳にしてしまっていた。せめて週末は、母が自由に動けるよう、父の面倒は私がみた。

寝たきりではないのに、部屋から出ようとしない。少しだけでも散歩したらと言っても、脚が痛くて歩けないと横になったまま。一緒に行こうと言うと、散歩なんか嫌いだと。そのくせ、カラオケ店まで送れとか、寿司屋へ連れて行けなどと言ってくる。

 

父に振り回された生活が1年くらい経った頃、緩やかではあるが確実に痴呆症状は進んでいたのだと知らされる時が来た。

夜中に風呂に入ったり、玄関を出て庭に暫く居る、ということをするようになったのである。更に、昼間あんなに嫌がっていた散歩に行き、2時間も帰って来ないことも頻繁になってきた。途中で転び、通り掛かった方に助けられ、救急車で運ばれたり、道行く優しい方の車で、家まで送っていただいたこともある。

ある日仕事からの帰り道、自宅にほど近いカフェの前に、父の姿を確認した時は、呆れるとか怒りとかそんな感情ではなく、思わず笑ってしまったものである。カフェの外に置いてある椅子に座って何やら歌っていたのである。声こそ聞こえないが、大きな口を開け感情たっぷりの様子から、あの十八番を歌っているに違いないと思った。

カフェにとっては笑いごとではない。客でもない老人が、店の椅子を2脚も占領し、凡そカフェに似付かない曲を歌っているのである。

 

私は見て見ぬ振りをした。確信犯である。

 

居場所さえ分かれば、安心というものである。おそらく母が目にしたら、すぐさま呼び戻しに行き、お店の方にお詫びをしたであろう。

 

思うに、痴呆でもそうでなくとも、年寄りが自由な振る舞いをするのは、そう悪いことではないし、当たり前かも。仕上げの人生を謳歌している彼らを、応援出来たらいいなと思いつつ、身勝手な振舞いが自らに向けられれば、苛つくのを抑えられないのが本音ではあるが。