fumimaro40’s diary

fumimaroはふつうの事務員。感じたままを。

美容室を変える③

美容師さんに勝手に心を寄せ、勝手に傷ついた私は、新たな出会いを求めてネットをさまよう。

そもそも私は、何を基準に美容室を選んでいるのだろう。非日常を感じたいのか。そう今言っているのだから、この思いも当然あるのだろう。恥ずかしいけど仕方ない、認めよう。

イケメンスタイリストを目当てに、美容室選びをする友人がいる。独立した彼を追いかけて、電車で1時間の道のりも楽しそうだ。その友人が、割と近所の美容室にも通っていると聞き、やっぱり遠いと続かないよね、と思ったがそんなことはなかった。たまたま、いつもの彼と日程が合わず、仕方なくその店に行ったのだが、

そこで運命の出会いをしたようだ。いつもの彼よりさらに若く、子供でもぎりぎりありな、年の差のスタイリストだ。どちらか一方に決められない彼女は、ロングヘアの毛先を揃えるだけなら若い彼に、カラーやパーマ、スタイルチェンジする時は追いかけて行った彼に、と使い分けることにした。

なんともパワフルである。私には無理だし、しようとも思わないが、少しだけ羨ましくなる、その、行動力に。

どうなりたいのか、髪と向き合うことにした。まずは、健やかな髪でいることが絶対的だと思っている。その為には、もちろんトリートメント等の栄養を与えることが、大切だということも知っている。今までだって、いろんなタイプのトリートメントを経験してきた。美容業界で話題?の商品も。で、やっと長い年月をかけて分かったのが、与えてもその効果が薄れてくると、トリートメントする前より、コンディションが悪く感じられるということだ。そんなことは無いのだろうが、しっとりがゴワゴワに、サラサラがチリチリになれば、気分は下降気味だ。

そう、素髪が健やかでなければならない、と気付いた。

何を美容室に求めるか。

健やかな髪を保つ、リラックスする、この2点が全てである。カットもカラーもこれに当てはめれば、私にとっての正解に導くことができるのである。

今通っている美容室が、正解か否か分からない。ただ、2週に、時には1週毎に通うのが楽しみであるのだから、言うまでもないだろう。

 

美容室を変える②

美容室に通うのは、キレイになりたいから。

いくつになっても、カワイクしていたいから。

人それぞれに解釈や求めるものは異なるに違いない。私はどんなに素敵な髪型でも、髪自体が健やかでないと、余り意味を成さないように思っている。

どんなに素敵な、それまでお気に入りの店であっても、トリートメントを繰り返しているにもかかわらず、傷んでしまったりすると、途端に嫌になって来る。ただ、私も大人なので、トリートメントをしているのにパサつく、等をきちんと伝えて、暫く様子をみる。違うタイプのトリートメントにするとか、色々試して3回くらい通っても良くならない時は、流石にもうサヨナラである。

サヨナラするのを決めてからが、実はとても大変で、つぎのお店を見つけるのが、本当にひと苦労なのである。変える気など無く、未練があるから、3回の猶予なんて与えているわけだ。

毎日ひたすら、ネット検索しまくる。定期的に美容室に通う私には、次の予定日までの時間がそれほど多くない。なんとかしなければならない、必死である。

そして、ついに出逢うのだ、びびびっと。

 

せっかく出逢った美容室を、嫌になったからという理由では無く、変えてしまったことは失敗だったな、と反省する日々を迎えるとは、まったくの油断をしていた。要するに、担当のスタイリストさんが独立をするので、付いて行ったら、こんなはずじゃ無かった、となったわけである。独立したその店は質が落ちてしまっていた、と気付いた時、とても悔しかった。

心を許し過ぎてしまった報いだと思った。

そんな自分を許せなかった。

美容師さんとは程よい距離感が大切だ、と思い知らされた。

美容室を変える

美容室を変えた。このスタイリストさんにずっと綺麗にして貰うつもりだったのに、である。

同じことが10年くらい前にあった。最初からお願いしていたスタイリストさんが、教える側になってしまい、施術もするとはいえ、高速を使って1時間という店へ勤務になってしまったことに始まる。

出来たらその店に着いて来て欲しい、と言われた。追いかけて行くお客様も居るらしいが、私には出来ない。この人以外の誰にスタイリングして貰えば良いのか、悲しくもなったが、そんな遠い所にはとうてい通えないのが、現実だ。とても無理だと伝えると、どうしてもなら、と自分と同じランクの店長に引き継いでくれた。

その店は、ジュニアスタイリスト・スタイリスト・ディレクター・アートディレクターというランク分けがされていた。店長もアートディレクターだったので、期待は出来た。2人から丁寧なご挨拶のハガキをいただいたのだが、店長の直筆文に誤字があったことが、やや気がかりだった。

店長とは、それまで挨拶程度のことばしか交わしたことがなかったが、気にはなっていたのである。

私がいつも通される席の、ちょうど真後ろがシャンプーブースで、私には鏡越しにそこが見えるのである。お客様のシャンプーに集中しているので、そこにいるスタイリストさんやアシスタントさんは、余りよそ見をしない。時々、周りの様子を確認することもあるが、それも含めて集中した表情などを見るのが私の楽しみでもあった。私は、カットもスタイリング中も、その様子をずっと見ている。カラーで1人になった時だけは、雑誌を見ることにしているが、その雑誌から目を離し鏡を見ると、大抵目が合ってしまうのが、店長だった。シャンプーブースからこちらを見ていたのだ。意識過剰なのだろうが、そうさせる目ヂカラが彼にはあった。

担当になってからは、それこそ、こんなにプライベートを話すものなのかと驚いた。仕事の相談もしてくる。私にはそういった接客が向いていると思ったのだろうか。それなら、その期待どおり私は、真剣に彼に向かい合っていたと思う。答えなんか求めていなかったかもしれないけれど、聞かれれば何か答えるべきだと思っているため、会話は弾んだ。

店の雰囲気もスタッフも皆好きだったから、前任者が居なくなっても違和感無く通えていた。

しかし、そこを離れようという思いは、じわじわと確実に迫っていたのであった。

断捨離②

書籍の次にたまるものは、洋服。これも、捨てないからたまる。たまってしまう程、たくさんの服を持っているというと、ファッション好きに聞こえるかもしれない。

しかし私は、オシャレではない。最近はもっぱら、カットソーとフレアスカートにカーディガンを合わせる、といったスタイルだ。素材が季節のものに変わったり、カーディガンの袖が長かったり短かったり。仕事もプライベートも余り差のないスタイルで過ごしている。

そんな私でも、学生の頃はトレンドを意識していたものだ。女子大生と呼ばれた時代は、とにかくエレガントなスタイルを好んだ。ワンピースやマーメイドスカート、ラメやシフォンにモヘア。メイクだってエレガンスグリーンのアイシャドウ。大抵ヒールの高いパンプスを履いていたため、すっかり外反母趾になり、今よく履くのはスニーカーである。それでもやっぱり、ヒールを履きたくなることがあるのだ。そんな時は、踵は高くても、ウェッジソールをチョイスする。

本に囲まれている私は、当然雑誌も多読していた。ファッション紙もしかり。その気になれば、紙面を飾るそれをそのまま購入することも出来たはずなのに、しない私がいて、それはそれで満足だった。

それにしても、着ない服をなぜ処分出来ないのだろう。トキメク、トキメカナイの問題ではないような気がする。だって、明らかにサイズが入らなくなったものなんて、おぞましいだけ。そして知っているんだ、おぞましいのは、自分自身だと。

断捨離の本当の意味を考えさせられる。

断捨離

いらない物を捨てて、スッキリ暮らす。言葉もサッパリした感じだ。物がどんどん増えて、片付けても片付けても片付かない私には、全くピンと来ない言葉だ。

なぜ増えるのか。買うから、そして捨てないから。当たり前だけど、欲しくて手に入れた物をそう簡単に捨てはしないでしょ。

その最たるものが書籍である。常に活字に触れることを習慣にしている人もいるだろうが、私はそこまで真面目ではない。そもそも飽きっぽいので、わぁーっと集中して読んでいたかと思うと、本を手に取ることさえない日々が続くこともある。漫画も含めて、である。

私にとっては、漫画も本なので、漫画さえ目にしていないというのは、余程疲れてしまっていることを指す。いくら疲れていても好きな読み物に触れれば、気分転換やストレス発散になることも知っている。それすら出来ないのだから、だいぶピンチな状況だ。ただ、部屋を見渡せば、そこにはいつでも本がある。その環境に慣れているから、安心する。

ある時、その安心が揺らぐ危険に晒された。リビングの壁紙を張り替えることになったからである。割と大きい3層式の本棚を壁から離す必要があったのだ。ぎっしり詰まっている本を、そのままにするか、処分するのか、真剣に考えた。結果、思い切ることにしたのだが、残すものとサヨナラするものを分ける際は本当に寂しかった。

ダンボールで4箱になったサヨナラちゃんを見て、更に悲しくなるのかと思ったけど、意外にも何にも感じなかったのは、どうしてだろう。断捨離は、トキメクか、トキメカナイか、で捨てる物を決めるという。ダンボール4箱はトキメカナカッタというのか。初めて手に取った時のトキメキ本は、もう役割を終えたのだろうか。

あるいは、私自身が変わってしまったのか。

断捨離は続く。

FAXが届いた。高校生の息子に宛てた母親からである。「水筒のお茶がとても熱いので、コップに少しずつ注ぎ、ふうふうして飲んでください。」

熱々が好きだったりして。

 

お次は電話。「お箸を持たすのを忘れたので、割り箸がありましたら、そおっと渡していただけますか?お友達に知れると、いじめの原因になりかねないですから。」

〝そおっと〟は難題である。

 

お弁当を届けにも来る。

「こんな物で恥ずかしいんですけど」

コンビニのおにぎりとパンと栄養ドリンク。

片道40分かけて届けてくれたんだもん、美味しいに決まっている、チカラになるさ。

 


愛が溢れている。

出逢う③

美味しくお茶をいただいた挙句、自分は華道を習いたくて来たのだ、と告げた。反応が恐かったが、なんの心配もなかった。そんなちっぽけなことでは動じる訳もない。

「あら、嬉しいわぁ」と2階の教室へ案内してくれた。試しに暫く来てみればという言葉に甘え、私のお花との出会いが始まったのである。

後々気付いていくことなのだが、ゴッドマザーの教え方は、一般的な華道教室とは少し違っていた。最初に、だいたいこんなバランスで生けるのよ、と黒板に簡単なイラストを書いてみせた。

次は、花材選びだ。毎回3から4種類のセットがあり、好きなものを選んで良い。後は、こう言った。「好きなように生けてごらんなさい」黒板に書かれた、長い線にはどの花を、中くらいの線にはどれを、短いのには何を当てはめたら良いのか、それだけで時間は過ぎて行く。他のお弟子さん達は、どんどん仕上げて、ゴッドマザーに見てもらっていた。

1時間が経つ頃、「どお?」と声を掛けられた。よく分からないとしか答えようがなかった。「綺麗に入ったじゃないの」ん?褒められたのだろうか、そんな上手く行くはずがない。剣山に刺した花、全部抜き取られてしまった。お直しをしていただいたそれは、誰のものでもない、私の作品だった。私がイメージしたものを、壊さないようにして生けてくれたのである。「ね、良くなったでしょ。スケッチして、もう一度生けたんさい。」恐らく美術の授業より数段集中して描いた。そして、初めからやり直し、また見て貰う。

どれくらい繰り返しただろう。ある時から、スケッチした後の生け直しは免除されたが、その他のルーティンは続いて行った。

随分経ってから、多分高校生活を終える頃まで気づかなかったことがある。私と他の3名以外、10名くらいは、自分でお教室とお弟子さんを持っている先生だった。そういう、先生が習いに来る先生の門を、私は図々しくもたたいてしまったのである。どなたかのご紹介でもないのに。

この時の勇気や行動力を思うと、自らがとても羨ましくなるのであった。