fumimaro40’s diary

fumimaroはふつうの事務員。感じたままを。

老人保健施設に居られない父

父危うし、である。

今居る老人保健施設から、退所を促されているのだ。

何か父がシデカシタわけではない。

5月に介護度を見直す審査があり、ホームのケアマネージャーが言うには、恐らく要支援2になるだろう、とのこと。

勿論審査するのは認定員という市の職員なので、絶対ではないが、今までの経験から考えると、要介護となるのは、かなり難しいらしい。

今のホームは、要介護1からの入所条件があるため、要支援2と判定されれば、出て行かなければならないのである。

 

問題なのは、その時直ぐに次のホームが見つかるかどうか、なのである。

ケアマネや、経験者の話を聞くと、順番待ちは当たり前なので、数ヶ所申し込んでおくほうが良い、とのこと。

手当たり次第あちらこちらに申し込む人もいるようだが、私には無理だ。

家族が訪ね易い場所を選びたいし、もちろん外に出ている情報だけでも、いいなと思えるホームにしたいし、正直そういう事に使う時間がなかなか取れないし。

 

それでも、動かなければならない。

とりあえず、ホームページで2〜3選ぶことから始めよう。

ピーナッツ

私って、ピーナッツが好きだったんだな、と最近気付いた。

今愛して止まないのは、クレイジーソルトバタピー。

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「おつまみにピッタリ」と書いてあるところを見ると、そういうことなのだろう。

残念ながらアルコールを飲めない私には、その醍醐味が分からない。

 

それでも

最初の一粒を口に入れた瞬間、なんとも言えない塩っぱさが舌を刺激した。サラサラした塩ではなく、塩とバジルっぽいハーブの混ざった、やや湿り気のある粉がまぶしてあるのだ。

ひと粒ふた粒…やめられない。これはもう、1袋完食せざるを得ないパターンだ。

予感は的中。

 

お腹いっぱい、心も満たされた。

 

 

 

映画鑑賞

誰もいない。完全なる貸し切りである。

上映最終日の最終上映回、一人きりである。

封切り時から観たいと思っていた作品だが、こんなに早く終了するとは少しも考えなかった。

 

スペシャルアクターズ」

 

「カメラを止めるな」監督の2作目だ。

 

簡単に言うなら、売れないさえない役者が成長していく様を描いたものだと思った。

 

シンプルで誰もが思いつきやすい主軸に、たっぷりの肉付けがしてあり、見応えを感じた。

 

困り事の依頼を受けた芸能事務所が、脚本を作り、所属の役者が演技でミッションをクリアする、といった劇中劇が背景だ。

主人公も、そのミッション遂行の為、懸命に演技をする。緊張すると失神し、演技力も無いが、お金の為に始めた仕事に、いつしか本当に人助けとして向き合うようになるのである。

 

予測できるオチに向かう途中、つい笑ったり、涙したりで、終わらなければいいのに、と思ってしまった。

 

監督の前回同様、結末をどんでん返しに決めた苦悩に勇気づけられ、サプライズを受けた主人公の心を映す顔のアップに、温かい気持ちになった。

年老いた父

父が老人施設に入った。一口に老人施設と言っても、誰でも入居できるものと、条件が必要な所があり、そういったホームは数種類に及ぶ事を知った。

 

まずは、条件だ。歳を取り自ら動くのが大変になって、主治医の先生の勧めなんかあると、市の介護認定審査を受ける。

 

軽い順に、要支援1・要支援2・要介護1・要介護2・要介護3・要介護4・要介護5、という風に区別される。

大体要介護3と認定されるということは、杖をついたり、歩行器に頼ってもひとりでは歩けなく、車イスの生活が主な場合のようだ。この要介護3という認定が、施設を選ぶ基準のひとつになる。ひとつではあるが、最重要項目になってしまう。

 

どんなに気に入ったホームでも、入居条件に要介護3と書いてあれば、それより軽い認定の人は、入れないのである。逆に要介護3の認定を受けていれば、特養老人ホームという比較的料金の抑えられた施設に入ることが出来るのである。

 

父は、要介護1だ。杖を使って歩き、箸で上手に食事をする。介護福祉的には、見守りという区分らしい。

 

実は今の施設に入居してから、すこぶる健康になった。あちらこちら痛いと言いつつ、自宅で過ごしていた時より顔色もいいし、館内ではあるが、毎日歩いている様だ。食事や運動を管理されているからに違いない。

 

そもそもなぜ施設に入ったのか。

ここ3年、続けて熱中症にかかっていた。普段から水を飲まない。水分を摂るよう言うと、コーラやコーヒーを飲んでいるから大丈夫だと返してくる。そんなんだから、冬に脱水で倒れた。気を失い救急搬送された。肺炎も併発していたので、即入院である。

肺炎は治ったが、自力で歩くのが難しくなり、暫くリハビリが必要になった。

病気ではないので、病院にはいられない。

そこで、病院が経営している、老人保健施設に入ったのである。そこは要介護1からの入居条件があったが、上手い具合に父はクリアしていた。リハビリ室も充実していたようなので、父は嬉しそうだった。

リハビリを頑張って早く家に帰るんだ、と張り切っている父を前に、そうだねと笑ったが、頭の中では、もう家には戻れないかもしれないよと言っていた。

 

家にいた時は少しも歩こうとしないで、1日をベッドで過ごすことが多かった。食事も部屋に運んでいたので、そこはまるで病室。

元々病院好きで、若い頃から少し体調が優れないと直ぐにお医者様に診てもらっていた。薬も大好き。処方されたお薬はきちんと服用するし、市販のそれらも色々買って来る。

 

それは年齢が進むと益々酷くなった。膝が痛いと整形外科や整骨院に連れて行け、眼がおかしいと眼科へ連れて行け、喉がおかしいと内科へ連れて行け、歯が変だと歯医者へ連れて行け、と母を振り回す。

 

まだ何とか車を運転する母は、自分の時間を削り、できるだけ連れ合いの助けとなるよう頑張っていた。父が痴呆と診断されてからも、一生懸命面倒をみていた。

疲労とストレスで、痩せてしまった母姿を見て、申し訳ない思いでいっぱいだったが、日中は仕事がある事を言い訳にしてしまっていた。せめて週末は、母が自由に動けるよう、父の面倒は私がみた。

寝たきりではないのに、部屋から出ようとしない。少しだけでも散歩したらと言っても、脚が痛くて歩けないと横になったまま。一緒に行こうと言うと、散歩なんか嫌いだと。そのくせ、カラオケ店まで送れとか、寿司屋へ連れて行けなどと言ってくる。

 

父に振り回された生活が1年くらい経った頃、緩やかではあるが確実に痴呆症状は進んでいたのだと知らされる時が来た。

夜中に風呂に入ったり、玄関を出て庭に暫く居る、ということをするようになったのである。更に、昼間あんなに嫌がっていた散歩に行き、2時間も帰って来ないことも頻繁になってきた。途中で転び、通り掛かった方に助けられ、救急車で運ばれたり、道行く優しい方の車で、家まで送っていただいたこともある。

ある日仕事からの帰り道、自宅にほど近いカフェの前に、父の姿を確認した時は、呆れるとか怒りとかそんな感情ではなく、思わず笑ってしまったものである。カフェの外に置いてある椅子に座って何やら歌っていたのである。声こそ聞こえないが、大きな口を開け感情たっぷりの様子から、あの十八番を歌っているに違いないと思った。

カフェにとっては笑いごとではない。客でもない老人が、店の椅子を2脚も占領し、凡そカフェに似付かない曲を歌っているのである。

 

私は見て見ぬ振りをした。確信犯である。

 

居場所さえ分かれば、安心というものである。おそらく母が目にしたら、すぐさま呼び戻しに行き、お店の方にお詫びをしたであろう。

 

思うに、痴呆でもそうでなくとも、年寄りが自由な振る舞いをするのは、そう悪いことではないし、当たり前かも。仕上げの人生を謳歌している彼らを、応援出来たらいいなと思いつつ、身勝手な振舞いが自らに向けられれば、苛つくのを抑えられないのが本音ではあるが。

 

いい加減

真面目すぎるんだよね、もっといい加減にならなくちゃ、叔父は私を諭すように言う。

彼は母の弟で、私を子供の時から何かと気にかけてくれていたらしい。らしい、と言ったのは、私自身あまり記憶が無いからだ。

もちろん親戚として、年に数回は顔を合わせる。その際、それまでの近況報告的な話しはした。学生時代は、学校のことが話題だったのだろうか、それも薄れた記憶だ。

就職してからは、仕事の悩み等を話したのかもしれない、会う度にそれを心配される。

他人の仕事内容は分からないものである。ただ、表向きは職業という区別があるため、それに就いたら何をするのかは誰もが分かるようになっている。「〜になるには」みたいな様々な職業を紹介する書籍も見たことがある。

どんな仕事に就きたいか、いつ頃考え始めるのだろう。小学生の頃、将来何になりたいかと問われることがあった。学校でも親戚のおばさんにも。その度に答えていたのは、幼稚園の先生。中学校でも高校選びをする際、その先の大学を、さらに先の就職をも考えさせられた。この頃は教員になりたい、と答えていたと思う。

本当に自らの言葉だったのだろうか。なぜ、そのような答えを導き出したのか思い出せない。想像するに、たぶん親が安心し喜ぶ顔見たさで、それなりの答えを考えたのだと思う。

そもそも、なりたいものや夢のようなものは何もなかった。その時を幸せに満足に生きていたからであろう。今でも同じだ。なりたいものなど無い。あの頃答えていたものにはならかったが、親が安心する職業には就いた。

いい加減が、不得意である。

 

夏休み

夏休みが終わった。

私の勤務先は、一般的に言う学校の夏休み期間の頃、始業時間が1時間遅くなることに加え、週に3〜4日の交代勤務となる。日頃、完全週休2日は難しく、有休もなかなか取れないため、この期間で休みをカバーするのだろうか。

周りは意外と喜んでいるように見える。働かなくても、いつも通りの給料を貰えるからなのか。

毎日する仕事を、半分の日数でするなんて、かなり厳しい。自分の仕事だけならまだしも、他人の仕事もカバーしなければならないため、どうしたって追いつかない。

仕事が不規則になるだけではなく、生活面もだらしなくなってしまう。朝起きるのが遅くなり、1日おきの休みに特別なイベントも無く、ただただ普段しない家事をしてみるといった日々を過ごしていた。

職場では昼食を軽いものにしている。あまり多くの時間を費やせなく、落ち着いた食事を摂るのが難しいからだ。しかし家に居ると、親と一緒に食べなければならないため、割ときちんとしたメニューになる。で、太る。普段より動かない。で、太る。気持ちも塞ぎがちになる。休んだ感じがしない。みんな、どんな充実した休暇を過ごしているのだろう。あまりに怠惰な自分が嫌になる。で、また気分が落ちる。

本もマンガも読みたくない。雑誌さえ見るのを面倒くさがる。もちろん、文章を書くなんてもってのほかだ。

文字さえ忘れたかのようだ。

そんな夏休みが終わった。

いつものペースに戻りつつある。

何よりである。

思うこと

ブログを始めて3ヶ月が過ぎた。世のブログというものを見ると、誰かの知りたいを、満足させてくれるような内容が多いと思う。

実際、私も何かを調べる時、いろんな方のブログを訪ねる。

なのに、どうだろう。私は自分の思ったことを、ただ記しているだけだ。誰に向けたものなのか、どんな人に読んでもらいたいのか、考えたことも無く、恐らくこれからも考えない。

ただ、書く。

久しぶりに、映画館へ。やはり落ち着く空間だ。私という私だけの世界。

大きなメディアには良い前評判しか載らない、あのアニメをまず観た。同じ監督の前回の作品も、あんなにも話題になったのにもかかわらず、観ていない。私にとっては挑戦となるその作品が始まると、割とすぐに、あぁ観ない映画だなぁ、と思ってしまった。絵も話もタイプではないと。始まりから、スクリーンに映る全てがキラキラしていた。風景も人も、とてもキレイである。雨つぶは生きているかのように映し出されていた。主人公たちの話すコトバはリアルなものとして投げかけられる。いくらタイプでないとは言え、盛り上がるところは、そういう風に作ってあり、そこに流れる曲が耳から胸に直接届いたりするのである。

もうひとつ、人形が親友気取りで大好きな彼のために殺りくを繰り返す、作品を観た。ずいぶん前の第1作目を観たので、何の気なしに選んだのである。前述のとおりの、それだけの作品だ。テーマ曲がしつこく流れ、耳につくのを超え、一種の怒りさえ超え、ついには笑ってしまった。

何も残らなかったが、観て良かったと思った。エンタテインメントとは、あー面白かった、と終われば全てがオッケイだと思うからだ。

この夏まだ観たい作品がいくつかある。

何をどう感じる私を知るのが楽しみである。